阪神淡路大震災から23年

神戸の皆さん、また今日の日がやってきましたね。もう23年になります。

阪神淡路大震災から23年

23年前の日は、多くの皆さんにとって、とても辛くて悲しい日に

なった日です。

今は、もう震災後に産まれた人が活躍している時代になっています。

14日の全国都道府県対抗女子駅伝でも兵庫県が14年振りに優勝した

のですが、それのインタビュー記事に、全員が地震後に産まれた9人で、

これで優勝する事が、阪神淡路大震災を風化させない為になるのでは

ないかと監督が選手に言われて、皆でバトンを繋いで優勝に至ったと

書かれてありました。

この時期に本当に凄い事です。ありがとうございました。

ご苦労様でございました。

皆で意識していかないと、未曽有の震災の歴史は風化してしまいます。

皆さんは、当時は、どこにおられましたでしょうか・・?

この23年、本当に、あの震災がきっかけに全く別の人生を歩まれる事に

なった方は本当に多いと思います。

震災がきっかけでは、なかったとしても、この23年、色々な人生の話、

本当にたくさん有ると思います。

私も、あの当時と現在、人生変わっています。

でも、この日が来ると、沢山の事を思い出す方々、本当に私も入れて

多いと思います。

地震の前に亡くなってしまった人には、神戸が、こんな惨事になる前に

亡くなって良かったよなと思う事もありました。

私は、当時は神戸市西区の学園都市という所に住んでおりました。

地震の時は主人が建築関係の仕事をしていて図面の提出日で徹夜で

仕事をしておりました。

書き終わって主人はシャワーを浴びて出て来たところでの、地震で、

本当に真っ裸でおりました。

娘が3人いますので、下2人は2段ベットで寝ていたのですが、

これは完全に潰れたと思って、部屋に入るのが怖かったです。

さいわい、大丈夫でベットの上の娘は仁王立ちになって天上を抑えて

おりました(笑)

学園都市という所は、地場が岩で出来ていたそうで、地震の被害は

水道が1日止まっただけで、被害は少なかったのです。

主人の仕事の図面の提出が有るので、まだ暗かったですが、2人で

阪神高速に乗って大阪に向かいました。

大阪に無事に図面を届け、その帰りが大変でした。

阪神高速が崩れたとラジオで、言っていたのが、信じられなくて、

「嘘やろ!」の連続でした。

先ほど、通って大阪に来た阪神高速でした。

もう少し、遅かったら本当に死んでいました。

帰りにそれを聴いて宝塚の山越えしか道がなくて、それでも、

どこも、かしこも家が潰れて道がなくなり、凄い時間がかかりましたが

道中の景色を見て、これはとんでもない事になっているのだと

恐ろしくなりました。

どうにか、こうにか家に帰って、兵庫区に住んでいる知り合いの

おばあさんが心配で、探しに行った時、西神戸有料道路から

降りて行くのですが、私は兵庫区の出身で途中から景色が

見えて来たのですが火事が発生していて真っ赤な炎と真っ黒な

煙が目の前に現れた時は、本当にわが目を疑いましたし

「なんで、神戸が・・」と涙が溢れてきました。

本当に悲しかったです。

こんな事が、こんな恐ろしい事が今、本当に起こっている事

が信じられませんでした。

おばあさんは近くの公民館で避難してくれて無事でいてくれて

連れて帰ってきました。

市営地下鉄が途中まで動いて、知り合いを探しに行く時は、

車内で、皆がリュックや食料品を抱えて乗り込んで来て、戦争の時は

、こんな感じなんやろうなと思いましたし、こんな事をいうと、

不謹慎なのかも分からないですが、なんとも言えない電車の車内での

一体感を感じました。

兵庫区の大開通りの前の大きな道路が陥没していました。

車が落ちていました。

もう、信じられない光景でした。

本当にこんな事になってしまうんや・・・

夜のニュースで、亡くなった人の名前が本当にたくさん聴こえてきて・・・

兵庫区は被害が多かったので、同級生や知り合いのお母さんの名前を

活字で見た時は本当に辛かったです。

まだ、西区の学園都市は被災してきた人が一緒に暮らせる所だったので、

我が家は、にぎやかで過ごせておりましたので本当に感謝でした。

アラ還の独り言

もうすぐ、5時46分に近づいてきています。

早朝の「脳科学・マインドフルネス」に向かう前に家で黙とうしてから

家を出たいと思います。

今朝は涙雨が降っています。6434人の犠牲者の皆さま、どうぞ、

安らかにお眠り下さい。

黙祷。

今日に出逢った皆さんに感謝です。そして、私にも、ありがとう。

TO BE CONTINUED・・・

続く・・・

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