「自己主張」が苦手になってしまった日本人の原因は・・?

「自己主張」って、日本人には難しいものなのでしょうか・・?

国民性も有るかなとも思います。

「自己主張」が苦手な日本人

皆さんは、普段から自分の意見を主張していますか?

自分の考えや価値観・感性をありのままに表現していますか?

今日は日本人の「自己主張」についての話をします。

日本人は「自己主張」が苦手な印象があります。

自分の意見や考えを言うというよりは相手のことを尊重する傾向が

ありますよね。

一見これって自分のことは置いておいて、相手のことを第一に

考えているというすばらしい国民性のように見えます。

しかし、世界に出ると、そこが勘違いされたりしますよね。

「自己主張」に対する消極的な姿勢は、どこから?

学校教育から育まれていると考えられます。

生徒が教師の話を聞くものだ、と信じています。

日本の学校の授業風景を思い浮かべてみましょう。

生徒たちはみな同じ方向を向いて席に座り、教師が黒板に

板書しながら説明します。

生徒が授業中に自主的に発言することはなく、基本的には教師の話を

一方的に聞くのみです。

ときには教師が生徒たちに質問し解答させたり、教科書を読ませたり

しますが、あくまでも授業の中心の教師が一方的に行う説明です。

日本人はこういった形式の授業しか知らないので、学校の授業といえば

生徒が教師の話を聞くものだ、と信じています。

しかし、世界の国々の学校では実にさまざまな形式の授業が

行われています。

その中には日本とは間逆の方針の授業を行っている国もあります。

日本のように生徒が教師の話を静かに聞くのではなく、授業中に

生徒が積極的に発言することを良しとする国もあるのです。

教師は授業を生徒たちとの対話のように進め、常に生徒が意見や

考えを発言することを求めます。

そうして生徒1人1人の価値観を尊重し、臨機応変に授業を

進めていくのです。

一方で、日本の生徒たちは常に静かに席に座って教師の話を

聞くことを強いられます。

自分自身の意見を発言したり主張したりする機会はごくわずかです。

それが小学校から高校まで12年間も続くのです。

むしろ日本の学校教育では、いろんな場面で、個人差がつかないように

みんなが同じであるように…という考え方が広まっている

ような気がします。

「自分らしさ」に目を向けるのではなく、

◆運動会の徒競走でみんな手をつないでゴール

◆学芸会の演劇でみんなが主役

◆部活動のサッカーでみんな背番号10番

…など等。

それでは「自分らしさ」を知る機会が奪われて、

社会に出てから子どもたちが大変だとか、かわいそうという声もあって

一部の私立とかで中高生にスピーチの授業を行う学校も

出てきたようですが、日本の場合、今でも、自分の意見を表現して

伝えるスピーチの授業に熱心に取り組んでいる学校は、少ないのが

現状です。

それ以外の一般的な日本の学校では、相変わらずの状況です。

「どうして、そうなるのでしょうか?」

という話題が出ると、日本人は、「自己表現」や「自己主張」が

苦手という理由が、昔から挙げられたりしますが、でも、

それって本当にそうなのでしょうか?

そういうことではなくて、単純に、日本人はアメリカ人のように、

日常生活の中で「自己表現」「自己主張」をする必要性や機会が

ないから慣れてないだけなのではないでしょうか?

敢えて、賢い日本人を賢くさせない戦後のマッカーサーの教育改革を、

まだ引きずっているからではないのでしょうか・・?

なんと言っても、日本の人口の98%以上は日本人です。

ほぼ100%の人々が、日本語を理解し、日本の文化や

「価値観」を共有しています。

この環境では、いちいち細かい説明をしなくても、

「あ、うん」の呼吸で通じ合えることは多いのが事実です。

また、細かい質問をしないで賛同する同調ムードは、

「空気を読む」と「世間体を考える」などの表現のとおり

大多数の日本人からより良いものと考えられています。

なので、「自己表現」や「自己主張」をする必要性や機会は

日常生活の中に滅多にありません。

ゆえに日本人は「自己主張」することに慣れていません。

日本人はもともと「自己主張」する機会を学校教育によって奪われていたのです。

日本人が「自己主張」をしない理由は、それだけではありません。

日本人の間では、「自己主張」をすること自体が

「良くない事」という価値観が共有されている」

しかし、日本人が「自己主張」をしない理由はそれだけではありません。

そもそも日本人の間では、「自己主張」をすること自体が

「良くないこと」という価値観が共有されているようなのです。

学校の授業では「自己主張」をする機会が少ないとはいえ、

その他の日常生活においては何かしら「自己主張」をする場面は

あるはずです。

たとえば、数人の友人や同僚たちとどこに食事に行くかを決めるときです。

そのグループのメンバーがそれぞれ

「○○が食べたい」「××の店に行きたい」などと

「自己主張」をしなければ一向に目的地は決まりませんよね。

しかし、こんな場面でも日本人は「自己主張」することをなるべく避け

、しかも相手が「自己主張」することすらも良しとしない

「価値観」がある気がします。

「どこに食べに行こうか?みんなどこに行きたい?」

「う~ん、私はどこでもいいよ。あなたは?」

「私はみんなに合わせるよ。あなたは何が食べたい?」

こんな会話よく見かけませんか?

こんな会話よくしませんか?

日本人は自分の意見を述べることを避けがちなのです。

もっと問題なのは、みんなが自己主張することを避けるなか、

誰かが自己主張することすら良しとしないことです。

「私はパスタが食べたいな!私、おいしいパスタのお店を知ってるよ!

みんなで行こうよ!」

こんなことを誰かが言えば、みんな表面では否定しなくとも、内心では

(この人、なによ、勝手に決めて!)

(ほんと自分勝手な人やな~!)

(今日は中華が食べたかったのになあ!)

などと悪態をついているのです。

そしてこの一件から自己主張をした彼はグループのメンバーから嫌われ、

距離を取られてしまうなんてこともあるかもしれません。

他人が「自己主張」をすることすら認めないメカニズムは

直なところよく分かりません。

しかし日本人の人間関係の中でこういったシチュエーションは

珍しくないでしょう。

日本人は自分が「自己主張」することを避け、

他人が自己主張することも拒絶する傾向があるのです。

どんな人だって自分の意見や考えを持っています。

少なくとも「これが好き」「これは嫌い」「これをしたい」

「これはやりたくない」程度の考えは持っているはずです。

しかし、これらの自己主張を他者に対して行うことは

「集団の和」を保つためには良くないと思われているのです。

これは集団の和を重んじる日本人の良いところでもあり、

悪いところでもあると思います。

この日本人の暗黙のルールによって、本当はしたくないのに

断ることができず、やむを得ずに了承するということが多々ある人も、

おられると思います。

そんなことを繰り返せばどんどん「ストレス」は溜まっていきますよね。

自分の意見を相手に伝えることができず、相手の意向に合わせる

ばかりでは違和感を感じるのも無理はありません。

日本人の自己主張を拒絶する国民性は「ストレス」の原因となる

危険性があるのです。

もちろん今回、述べてきた内容がすべての日本人にあてはまるとは

思っていません。

自己主張することが苦ではない人も、もちろんおられると思います。

逆に相手が自己主張することを快く受け入れる人もおられると思います。

しかし、今回の話に共感できる方もまた多くおられると思います。

今日は日本人の「自己主張」に対するネガティブな姿勢について

話をしました。

自己主張を良しとしない集団が悪いのか

、周囲の顔をうかがってしまって自己主張できない自分自身が

悪いのか・・・むずかしいですね。

「MAG2LIFE」「生きづらいふ」参考)

アラ還の独り言

こんな大切な事が、やはりGHQのマッカーサーの戦後教育の名残が、まだまだ残っていたのですね・・・

どうして、日本の教育は変わっていかないのでしょうか・・・

私の「脳科学・マインドフルネス」「師匠」も学級日誌を毎日、毎日、発行しておられた小学校の素晴らしい先生でしたが、やはり、このままの教育では、大事な子供たちが大変な事になると、危機感を感じられて、教師という公務員の立場を捨てらて、このスクールを立ち上げられました。

日本には、そういう気持ちの有る若いエネルギーも、有るので、どうにか日本をしていきたいですよね。

「アラ還世代」には、孫の話になるので、他人事と思わないで、声を挙げていきましょう!!

今日に出逢った皆さんに感謝です。そして、私にも、ありがとう。

TO BE CONTINUED・・・

続く・・・

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