お辞儀の手の位置の意味と歴史とは?

今日は、訪問介護の仕事が終わって家に戻ってテレビをつけたら

お辞儀の事を、面白く説明してました。

お辞儀の手の位置の意味と歴史とは?

お辞儀の歴史とは?

1370年代の室町時代の足利義光が不満に思ったある出来事からお辞儀が

始まったとテレビでは言われていました。

室町時代には、目上の人が向こうから歩いてきたら、目下の人は道を

譲るという慣習が有ったそうです。

それで、義光は自分が一番偉いので、誰にでも道を譲って

貰っていた事になるのですが、その際に自分がその人の横を

通り過ぎる時に自分の身長が低かったのか、目下の者が背が高いので、

どうしても自分を見下ろす事になり、それが気に入らなかったようです。

そこで、テレビでは「ちっちゃい奴!」と「罵声」が

浴びせられていましたよ・・笑

それで、義光は、自分が(目上の人)が通る際に目下の者は、

道を譲る際に脇によけるだけではなく、敬意を表す為に頭を深く

下げるという事を決めたそうです。

お辞儀の手の位置とは?

お辞儀には、両手を横につけて頭を下げるお辞儀と、手を前に重ねて

頭を下げるお辞儀の2通りがあります

両手を横につけてお辞儀

さきほどの、義光が決めた目下の者が道ですれ違う時に目上の者に道を

譲る時に、ただ道を譲るのではなく、頭を下げて目上の者に敬意を

表す時に、深く頭を下げる事で刀の鞘が動くので、刀が

飛び出しそうになるので、それを抑えて動かない様にする為に、

両手を横につけるようになったと言われているそうです。

手を前に重ねてのお辞儀

これは、飛行機が1900年代に日本で就航することになり、その当時の

東京から大阪の値段が片道6000円で往復12000円していました。

その頃の大学卒業の学生の初任給が13000円で、飛行機に乗ってくる

お客様がスチュワーデスを見て極端に緊張していた時代でした。

なので機内のサービスをしようとしても、お客様が遠慮して

受け取って貰えなかったそうで、彼女らがお客様に対する

親しみやすさの1つとして考えだされたのが、飛行機にお客様が

入って来られるご搭乗の際に並んで、少しでも肩が丸く見えて

親しみを感じて貰えるように両手を前にかさなてのお辞儀が

1950年代に考えだされたそうです。

テレビで実際に両手を横にするお辞儀と、両手を前に重ねての

お辞儀では、明らかに面積も少しでは有りますが、幅が機内では

狭くなり、肩が丸く見え、親しみやすい表現が出来ているように

見えていました。

お辞儀の際の両手の位置の意味とは?

ホテルや旅館などのサービス業では、お辞儀をお客様をお迎えする際

に右手を上に重ねるか左手を上に重ねるかで意味が違うそうです。

右手を上に重ねてお辞儀をする場合

一般的に右手を上に重ねるお辞儀の場合は、利き手が上になる事で、

直ぐにお客様に対してサービスがしやすいようにとの意味があるそうです。

左手を上に重ねてお辞儀をする場合

これは、初めて自分のホテルや旅館に来られたお客様に対して、

私どもは、貴方さまに対して一切の危険を冒しませんと言う意味が

あるそうで、利き手を左手で抑えるという意味が有るそうです。

アラ還の独り言

たまたま「この差って何ですか?」というテレビでしていた「お辞儀」の話でしたが、興味深い話題でした。

所説有りますとテロップが入っていましたが、室町幕府の将軍の

足利義光が背が低くて、そのような事を決めてまでも、部下に対して

絶対服従をさせたかったのかと少し滑稽な感じで受け取りました。

私は、そうやって他者に対して、今の時代でも偉そうにしたい人を

見ると、この人は幸せな結婚生活をしていないのだろうか?

一番身近な、家族から、このような人は承認を受けてないので

他人に対して承認欲求を露わにしてきてるのだと考えてしまいます。

この人は、一体どういう生活をしていて、気持ちが一体どうなんだろうか

とも思ってしまいますが、だいたい、私の考えは正解の時が多いです(笑)

私は毎日早朝から「脳科学・マインドフルネス」に通っていますが、

師匠」は「人間が一番欲しているのは、自己承認ですよ

の話を良くされます。

本当にその通りやと思います。

それが自分のエフィカシー(自己肯定感)を上げるのに繋がります。

この話は、こちらをどうぞ

偉そうに自分の自慢をしたがったり、権力出してくる人、

抑えてこようとしている人、そういう人は、身近な人に話を聴いて

もらえてないとか、認められていない人が今までの私のアラ還人生の

経験値から言わせてもらうと、だいたい、そういう可哀想というか、

自己承認の欲求が塊みたいになってる人が多いです。

だいたい、そんな感じです(笑)

私は、皆に理解して貰えなくても、誰か一人が理解してくれたら、

それで十分ですと思うタイプで、その人が例えばいなかったとしても、

事実は一つしかないのだから、

「神様は絶対に見てくれている」

頑張ってきたタイプでした。

皆に認めて貰おうなんて、何とおこがましい事を考えてるねん!

理解者は、少数でいいやん!と心から思っております・・・(笑)

今日に出逢った皆さんに感謝です。そして、私にも、ありがとう。

TO BE CONTINUED・・・

続く・・・

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